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小津安二郎の世界

俳優・林寛の生涯

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ギャラリー

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林 寛(はやし ひろし)

1905年(明治38年)1月31日生~1971年(昭和46年)12月22日没(享年66歳)本名:稲垣三郎、京都府京都市出身。旧制・同志社中学校(現・同志社高等学校)中途退学。浅草のオペラ一座に附いて家出同然で東京に移る。ロッパ一座から日活多摩川撮影所へ。
□戦後は新東宝が低迷を続けている時、起死回生のヒット作となった渡辺邦男監督『明治天皇と日露大戦争』(1957年)に乃木将軍で出演。その後、『天皇・皇后と日清戦争』(1958年)、『明治大帝と乃木将軍』(1959年)で乃木希典役で出演、いわゆる『天皇三部作』となった。新東宝倒産(1961年・昭和36年)まで出演。倒産後は主に大映(京都撮影所)に出演。合わせてNTV「夫婦百景」やNET「特別機動捜査隊」などテレビ
に出演。生前に録画した同番組「懐かしのメロディー殺し屋」(1971年12月29日)が最後のテレビ出演となった。この放送の一週間前、池袋豊島公会堂に於て自主企画の舞台公演『霧の中』を開催しその4日後の12月22日に腸疾患で世田谷・大蔵病院にて亡くなった。享年66歳。
□数年後、永井柳太郎氏は父・林寛との出会いとこの時の『霧の中』公演までの経緯について、編集兼発行人宮口精二氏発行「俳優館1976秋」(第23号・昭和51年10月15日発刊発行所「俳優館」)に「惑星讃歌」の一編に追悼文を記述してくれていた。その冊子を自宅に送付頂いた。

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水師営の会見

□戦前から戦後に脇役一筋に生きてきた父・林寛が準主役の乃木将軍に抜擢された新東宝映画『明治天皇と日露大戦争』(1957年/昭和32年)が日本映画史上、空前絶後の大ヒットをもたらした。その結果、姉妹編である『天皇・皇后と日清戦争』(1958年/昭和33年)と『明治大帝と乃木将軍』1959年/昭和34年)いわゆる『天皇三部作』が製作された。
□続けて中川信夫監督の怪談映画の代表作『東海道四谷怪談』(1959年/昭和34年)や『地獄』(1960年/昭和35年)に出演。1962年(昭和37年)新東宝倒産後は主に大映京都撮影所作品に出演やテレビに出演した。
□北方領土返還をテーマに自主企画『霧の中』公演を企てた一老優の執念の思いに応えてくれた人たちがいた。作者の徳田純宏氏、演出を引き受けてくれた阿木翁助氏をはじめ、出演を頂いた皆様である。特に永井柳太郎氏には大変お世話になった。企画や準備のために一人で仕切って父の執念に絆されて劇の支柱となる配役を引き受けてくれた。公演開催のきっかけを作ってくれた。
□公演当日、新東宝時代から我が子のように可愛がっていた二木てるみさんが花束贈呈に駆けつけてくれた。
□公演が終わってタクシーで父と二人で新宿の行きつけの飲み屋へ。2時間ほどで帰宅へ。新宿駅に向かう途中ではぐれた。「途中で人に会った」と、翌日19日自宅に電話があった。3ヶ日後の22日(水)朝「夕べ大蔵病院に入院した」と勤務先に連絡あり、病院に駆けつけると背もたれ椅子に座っていた。「ちょっと起こしてくれ」というので背もたれを調整してやると寝るように目を瞑った。しばらくして目の様子がおかしいので先生を呼んだ。そのまま永眠となった。午後1時57分死亡。死亡解剖の結果、腸が破裂し、直接的には「腹膜炎」が原因という。

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自主公演『霧の中』

□1971年(昭和46年)12月18日(土)、午後5時開場。於:池袋豊島公会堂
第一部 映画・北方領土(実景・カラー)、総合舞踊 ハ景(以上一時間三十分)第二部 劇『霧の中』 一幕二景 作:徳田純宏、演出:阿木翁助、出演:林寛、永井柳太郎、杉義一、松浪志保、清水京子、徳久比呂志(一時間)

□「わずか6日前*に豊島公会堂で共演し、3日前に電話で話し人が…、全く信じられない」と、永井柳太郎氏は父との出会いから公演に至るまでの経緯を『俳優館1976秋』(昭和51年10月15日発行)の一編『惑星讃歌』で記述して頂いた。
□林君は古い友人より名前は訊いておりましたが、私と入れ違いに新東宝に入社していますので付き合いはありませんでした。話すようになったのは彼もテレビに出始めてからです。…あれは昭和四十頃の初秋だったか……夕方、寺島君が林寛君同伴で私宅を訪ねてくれました。一時すぎ迄三人で二升近くあけ、女房は娘達の部屋に寝かせ、奥八畳で三人が雑魚寝しました。それ以来、林君は何処か古武士的で気骨の有る男だなアと好感を持ちテレビなんかで一緒になっても親近感がぐっと厚くなりました。人生って解らぬもので寺島とはこの雑魚寝の日がお別れでした。その年末頃より躰をこわし寝ていることを風聞しましたが、翌年の何月でしたか、突然訃報を入手しました。(俳優館1976秋号より)
*12月18日(土)公演、20日(月)永井さんに電話、22日(水)死亡。
□『霧の中』舞台写真(永井柳太郎氏提供)⇨

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永井柳太郎著『惑星讃歌』

□「俳優館」編集兼発行人・宮口精二氏は編集後記「東西南北」で次のように記している。永井柳太郎氏の「一老優の遍歴見聞譚」も回を重ねること十五回、まだまだ面白い話は続くのであるが、ここで「幕間のいっぷく」という形で、別に、最近亡くなられた山田長正、林寛両氏の追悼の意をこめて「惑星讃歌」の一編を書いて頂きました。脇役一筋に生きた人々を讃える意で、いわば「義士外伝」というところです。

□永井柳太郎(明治36年3月8日生~昭和61年2月28日没:享年82歳)
本名:高橋由松、
出身地:滋賀県栗太郡物部村(現・滋賀県栗東市)、劇団新声劇、劇団文芸団、マキノプロダクション、松竹加茂川撮影所、東宝京都撮影所、新東宝株式会社(現・国際放映株式会社)、日活株式会社

□寺島雄作氏(明治37/1904年2月12日生~昭和41/1966年没*)

*永井柳太郎著『惑星讃歌』文中より


永井柳太郎氏と林寛と二人
の共通の友人

□「林寛が寺島雄作といふ役者連れて来り、(中野実の紹介状あり)入座の希望。二十日の朝、中野実氏のところへ行く約束する。」昭和九年三月十八日(日曜)古川緑波「古川ロッパ昭和日記」(1934年3月18日記述)より

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稲垣 一彦

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